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日本最後の文人と呼ばれた富岡鉄斎
富岡鉄斎は1837年に京都で生まれました。
耳が少し不自由だった富岡鉄斎は勉学に勤しみ、国学や勤王思想などを学んでいき、18歳の頃、女流歌人の太田垣蓮月に預けられ、薫陶を受けると、翌年からは南画や大和絵などを著名画家から学ぶようになり、研鑽を積んでいきました。
富岡鉄斎は、24歳の時から画業で生計を立て始めますが、この時期に明治維新があり、人生も大きく変わっていきました。
40代半ばまでは、神社の神官として働き、神社の復興にも携わりました。
その傍ら、各地に旅行に出かけ、行く先々で絵画をしたためており、多くの作品が全国各地に残されています。
晩年は美術学校の教員として活躍し、多くの教え子を輩出しました。
1924年89歳でこの世を去りますが、最後の文人として後年評価されています。
亡くなるまでに残した作品は1万点以上で、この中には骨董品なども含まれています。
骨董品好きなら誰でも知っており、多くの商品が古美術商などで買取りが行われています。
富岡鉄斎の作品は、本物であれば数百万円で買取られるなど、根強い人気です。
著名画家として今も根強い人気
富岡鉄斎は昭和の時代から人気を集めており、バブル期には骨董品などの買取りはかなりの高値となりました。
バブル期を過ぎると、掛け軸や画集などの値段も下がり、買いやすい値段となっています。
掛け軸などが数万円で購入することができるなど、物によっては安価に手に入れられます。
一方、テレビの鑑定番組などでは富岡鉄斎の作品が、数百万円で取引されるものもあります。
例えば、富岡鉄斎が書いた屏風は題材の珍しさもあって、1000万円近い値段の鑑定額がつきました。
また、鉄斎が絵を付けた花瓶は、やはり貴重なものとして扱われ、200万円の鑑定額がついています。
絵画や書、骨董品など多くのものを作り出し、その作品は鉄斎美術館に保管されています。
生涯を文人として貫き、大和絵、狩野派、大津絵など様々な絵画様式を習得し、近代日本画の世界において、他の追随を許さず、独創的な作品を多く見ることができます。
そして、日本全国で鉄斎の作品が高値で買取られています。
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