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画風が印象的な川合玉堂について
著名画家でもある川合玉堂は、明治のはじめに愛知県で生まれた画家で、本格的な絵の勉強を開始したのは京都の地だったとされています。
望月玉泉などの門下に入りその技術力を磨いていき、17歳になる頃には立派な画家となっていました。
「春渓群猿図」や「秋渓群鹿図」が博覧会で優秀な成績を収めていますし、この頃にはすでに「川合玉堂」と名乗っています。
その後は有名な日本美術院にも参加し、自分自身が作り上げた長流画塾も運営して、絵に関する教育活動にも励んでいました。
日本以外の各国からも、勲章などを贈られるほどの活躍をみせており、名実ともに優れた著名画家といえるでしょう。
昭和19年には、東京の農村部に住処を移動させ、そこで画家としての活動を行うようになりました。
川合玉堂は、芸術に親しみがある人を中心にかなりの支持を集めているので、玉堂美術館も存在しています。
玉堂美術館ができてから50年以上経過していますが、いまでも数多くの人たちが訪れているほど人気です。
独自性があり、強いイメージがある画風も魅力的で、彼の作品は今も愛され続けています。
著名画家・川合玉堂の代表作とは
川合玉堂は、芸術好きであれば知っているようなレベルの代表作を、いくつも作り上げています。
まずは「悠紀主基屏風」が有名で、こちらは玉堂が一人で仕上げたのではなくて合作です。
東京国立近代美術館に収められている「二日月」も、玉堂ならではの味を存分の醸し出しており、何度見ても飽きないと評判になっています。
他には「行く春」という屏風絵は、重要文化財にもなっていて、ダイナミックな絵が話題になりました。
著名画家でもある川合玉堂は、屏風絵を描くことも多く、数々の作品が遺っています。
力強くてダイナミックな絵ばかりではなく、「漁村渡舟」のように落ち着いた雰囲気の絵も描いており、様々な人から支持を受けています。
明治時代から昭和時代に活躍した著名画家はたくさんいますが、川合玉堂は存在感を発揮していました。
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