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上村松園と三代の画家に受け継がれた遺伝子
上村松園は本名を上村津禰(つね)といい、1875年(明治8年)京都に生まれました。
幼少時に父を亡くしながらも母親に日本画の才覚を見出され、母と二人三脚で苦労を重ねながら、見事にその才能を開花させました。
1944年には帝室技芸員に、そして亡くなる前年の1948年には女性初の文化勲章を受章しました。
花鳥画で有名な息子の上村松篁(しょうこう)や、孫の上村淳之と共に三代の画家として、画壇中でも独特のポジションにあります。
その格調高い美人画のセンスは、世代を超え子や孫にも受け継がれたのです。
松篁は、著名画家である前に一人の女性として私生児を生み、二代にわたって母子家庭という道をあえて歩みました。
彼女の息子の世話まで買って出た母親の松園もまた度量の大きい人であり、二代の女傑と言われる所以です。
明治という女性の自立が難しい時代において、画家としての道を貫き通し、さらに子孫にその才能を託したことには圧倒されるばかりです。
まさに二代の女傑あってこその三代の画家と言えるでしょう。
女性画家・上村松園の軌跡
女性画家として歴史に名を残した上村松園は、京都四条派の技法を学び、優雅な作風を生かした美人画を世に送り出しました。
鈴木松年に師事したのち、幸野楳嶺(ばいれつ)や竹内栖風(せいほう)からも学んでいます。
1890年に第3回内国勧業博覧会に「四季美」を出品して受賞したことで、著名画家としてのスターダムを一気に駆け上がりました。
一方で、それゆえの苦悩も多く、展覧会で何者かに美人画の顔を汚される事件もありましたが、ひるむことなく作品を展示し続け、著名画家としての気迫を見せつけました。
数多くある代表作の中でも、「母子」や「序の舞」は特に高い評価を受けています。
そして3人の優れた師匠から学んだことにより、伝統の中に近代的感覚を融合させることにも成功しました。
良家の子女のみならず、町方や粋筋まで幅広い層の女性を主題に、清らかで斬新な作品を描いた松園の作品は、前期は情緒的に、そして後期は理知的な画風へと変化を遂げているところも大きな特色です。
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