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2014/2/28 17:42
滝川左近将監一益は、織田信長の重臣で、茶の湯を好み、数奇者をもって自任していた。
彼は天正十年(1582年)三月に甲斐の武田勝頼討伐の先陣をつとめた功労によって、関東管領に補せられ、上野の国、厩橋(今の前橋)の城主となった。それを祝って、京都の茶友、三国一太郎五郎という者が手紙をよこしたが、それに対して、一益は次のような意味の返事をしている。
『さてさて、この遠国まで御文、ことに、一箱の贈り物を下されたことは、そのお志といい、また、御ゆかしさといい、かたがた、他に比べるものとてない。
この度は、思いがけぬ地獄へ落ち申した。宇治も、いよいよ遠くなったので、茶もやれるかどうか分からぬ。なんとしても道具が調わず、調えようと心がけても、出来ぬことばかりでござる。そうかといって、ほかの慰みも出来ぬ国であるから、たとい、道具が調わなくとも、いよいよ、数奇一途になるほかはない。
利根川という川のほとりに住んでいるので、水は一通りは汲める。炭も津の国ほどはないが、木は多いから、精を出して焼かせたい。釜はまだ一つも無い。この辺を平定して、山の中まで掘り回ってみようと思っている。
今度、武田を討ち果たした。それで、何か望みもあるかと、信長公がお尋ねになったならば、珠光の小茄子を頂きたいと申し上げるつもりでいたところが、そうではなくて、このような遠国に置かれたのであるから、もはや、茶の湯の冥加も尽き果ててしまった。
いよいよ、京都や堺の数奇がゆかしくなっただけのことである。来年は上方にのぼろうと思っているが、その節は、お茶を頂きたい。新介の所へ別紙で手紙をつかわすはずだが、いろいろと忙しくて、出せないから、よろしくおことづて願いたい。申し上げたいことが多いが、これでやめておく、万事、ご推量下され』
[畑柳平氏所蔵文書]
珠光小茄子…茶匠・村田珠光が九十九貫で入手し、『伊勢物語』所収の和歌「百とせに一とせ足らぬ九十九髪我を恋ふらし面影に見ゆ」から命名したという。別名、松永茄子、九十九髪、九十九茄子、作物茄子、付藻茄子。
『 墓場まで持って逝く 』でも登場した九十九髪がまたもや登場しましたね。
名物の茶器は、国と同等以上の価値だったのです。
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