用語 解説Ⅳ
2014/4/9 12:00
近衞 前久(このえ さきひさ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての公家。近衞家当主であり、動乱期に関白左大臣・太政大臣を務めた。初名は晴嗣。
堂上公家…堂上家(とうしょうけ、どうじょうけ)は、公家の家格の一つ。御所の清涼殿南廂にある殿上間に昇殿する資格を世襲した家柄。また、公卿になれる家柄。地下の官人を除く公家を指す。江戸時代末に137家があった。
浅野 幸長(あさの よしなが)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。紀伊国和歌山藩(紀州藩)の初代藩主。浅野氏宗家初代。
賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)は、天正11年(1583年)、近江国伊香郡(現:滋賀県長浜市)の賤ヶ岳附近で行われた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と柴田勝家との戦いである。織田勢力を二分する激しい戦いとなり、秀吉はこの戦いに勝利することによって織田信長の作り上げた権力と体制の継承者となることを決定づけた。
小西 行長(こにし ゆきなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。洗礼名アウグスティヌスを持つキリシタン大名でもある。
一時期は宇喜多氏に仕え、後に豊臣秀吉の家臣となる。文禄・慶長の役の際、加藤清正と先陣を争ったことでも有名である。関ヶ原の戦いにおいては西軍の将として奮戦したが敗北し、切腹を拒否して斬首された。
立花 宗茂(たちばな むねしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将、大名。大友氏の一族。陸奥棚倉藩主、筑後柳河藩の初代藩主。関ヶ原の戦いで改易後、大名として旧領に復帰した唯一の武将である。