織田信長は本能寺の変前日にお茶道具のお披露目を行っていた③

2014/3/20 20:18

信長は、これだけ多くの名器を、近江の安土城から京都の本能寺に運搬させ、彼自身もそれを監視しながら、天正十年の五月晦日、本能寺に到着したのであった。

彼が嫡男信忠のひきいる本隊二千余人の軍勢とは別に、単独行動におよんだのは、このような意図があったからである。

月あけて、六月一日、信長は本能寺の書院で、それらの名器を披露する茶会を催したらしい。

しかし、その詳細については、残念ながら、記載した文献がない、ただ、山科言経の日記である『言経卿記』を見ると、六月一日に近衛前久以下四十人の堂上公家、及び僧侶、地下人たちが、信長の宿所であった本能寺に参上し、数刻雑談し、茶事があったと、記しているから、茶会のあったことだけは、確かである。

さて、六月一日も暮れ、名物道具披露の茶会がおわった翌日(六月二日)の早暁、本能寺は突如として、明智光秀の指揮する一万余の大軍に包囲され、数刻にわたる攻撃を受けた末に、戦火にかかって焼け落ち、三十八種の名器も、その秘蔵者織田信長と共に運命を共にしたのであった。

信長は、おそらく、西国総出陣に際し、数奇者としての面目を、天下の人々に誇示したかったに相違ない。しかし、それが、はからずも、死の直前の饗宴となったのである。

明智光秀ほどの数奇者が、名物道具を犠牲にしてまで本能寺を夜襲するとは、夢にも予測しなかった。これが武将としての信長の一生の不覚であったといえる。 

 

明智光秀も数々の名物を所持する数奇者でした。その光秀が織田信長の所持していた名物茶器諸共焼き討ちを行うとは夢にも思いませんよね。もしかしたら人知れず受け継がれている可能性も・・・。なんともロマンがあります。

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