浅野弥衛の高価買取なら日本橋天宝堂へ
2022/7/12 15:21
浅野弥衛(あさのやえ)は、大正13(1914)年10月1日、三重県鈴鹿市の江戸時代から煙草の仲買商を営んでいた旧家の長男として生まれます。
昭和7(1932)年、中学校を卒業後、職業軍人となり、同年満州に渡り、翌年帰国したとされます。
この頃から絵筆を手にするようになり、また戦後詩人として知られるようになる津市在住の野田理一(1907年生まれ)と親交するようになり、野田の所有していたヨーロッパの画集や雑誌から、欧米の新しい芸術運動を知る。
戦争中は、三度応召し、戦後に鈴鹿信用組合理事となり、また美術文化協会会員となりました。
鈴鹿信用組合が鈴鹿信用金庫に改組され、その代表理事に就任、昭和34年まで勤め、その間、昼間は銀行での勤務、帰宅後の夜に制作をする生活が続きました。
昭和38年、美術文化協会を退会。その後、名古屋、東京、三重県内での個展を毎年開催しながら、制作を続けました。
その独自の抽象表現を築いたのは、1950年代後半からで、乳白色の画面をひっかいた無数の鋭い線によって表現され、ナイーブだが、独特の叙情的な小世界をつくりあげていきます。
この線を主体にした表現は、その後も一貫して追求され、徐々に評価が高まりました。
昭和62年から平成2(1990)年まで、愛知県立芸術大学の客員教授をつとめ、翌年には三重県民功労賞を受賞しました。
歿する直前の平成8年1月に、郷里の三重県立美術館において初期から近作にいたる約250点によって構成された回顧展「浅野弥衛展」が開催され、自らの資質に沿いながら制作をつづけてきたこの寡黙な抽象画家の全貌が紹介されました。
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