巌谷一六(いわや いちろく)
2014/4/14 13:30
巌谷一六(いわや いちろく) 1834―1905
明治の政治家、書家。近江(おうみ)国(滋賀県)生まれ。
名は修(しゅう)。一六、古梅、噏霞(きゅうか)、呑沢山人
(どんたくさんじん)、金粟(きんぞく)道人などと号す。
父の没後母と京都に出て、16歳のとき三浦東園について
医術を学んだ。のち帰郷して藩の侍医となるが、明治維新後は徴士をはじめに内閣書記官、元老院議官と役人生活を送った。
さらに貴族院議員に勅選され政治家として活躍した。
漢学、絵画など学問、諸芸にも優れたが、書は初め中沢雪城に菱湖(りょうこ)流を学び、さらに趙子昂(ちょうすごう)
(中国元(げん)の能書)を、また1880年(明治13)来朝した
楊守敬(ようしゅけい)に六朝(りくちょう)書法を学び
、一六独自の清新で新奇な書風を確立した。