年間240万円生み出す田地と交換した呂宋の壺 高価買取
2014/2/27 19:14
四十石の葉茶壷は、葉茶七斤(きん)半(一斤=六百g)入りで、呂宋(るそん)の真壷(まつぼ)であった。
その昔、呂宋の真壷が、百疋(ひゃくひき)(百疋=一貫=千匁(もんめ)(文)、四千文=一両)か二百疋位の値段だった頃、京都の千本あたりに住むの関本道拙という茶人が、米四十石とれる田地と引き換えに、この壷を手に入れた。
その話を聞いた、室町幕府 第8代将軍 足利義政が、大いに感服し、これを買い取り、東山御物のうちに加え、四十石(しじゅつこく)という銘をつけたといわれる。
東山御物が散佚してのち、四十石の壷は、奈良の蜂屋紹佐という数奇者の手に入り、次いで、堺の豪商銭屋宗訥に伝わり、いつしか豊臣秀吉に献上された。
このころは、すでに三日月と松島という有名な壷が焼失していたので、この四十石は、天下一の壷と呼ばれ、しばしば、秀吉の茶会に出品されている。 [山上宗二記]
さてここで、問題です。
一石=2.5俵=金一両=(現在の六万円相当)ただしこれは江戸時代のこと
一反=三百坪 から5俵作れる
一坪=3.3㎡
さて、四十石は何メートル四方でしょう?答えは一番下に。
[山上宗二記]を要約すると、当時1万5千円~3万円程度で呂宋の壺が取引されていた時代、年間240万円もの米を生み出す田んぼと交換という事ですから、大事件ですよね。
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答え、19800平方メートル。サッカーコートが7000平方メートルなので、約3倍の広さです。