古代瓦の買取は、仏教美術専門の日本橋天宝堂へお任せ下さい
2015/8/20 19:29
当店は、3年連続グランプリ受賞(高価買取専門店アワードにて)しました、東京日本橋1丁目に店舗を構えます、古美術天宝堂です。
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わが国にはじめて瓦が伝えられたのは、崇峻天皇元年(588年)のことで、この年、百済(古代の朝鮮半島南西部にあった国家)から寺工・鑪盤博士・瓦博士・画工が来日したが、彼らの初仕事は奈良・飛鳥の地に蘇我氏の氏寺・法興寺(飛鳥寺)を造営する事でした。
史によれば、推古三十二年(629年)には、四十六寺を数えたが、持統四年(690年)には全国に五百四十五寺に及び、奈良時代には諸国の国分寺をはじめ、その数七百寺に及ぶとみられている。
かくして、寺とともに瓦の需要も増大したが、持統朝には藤原宮にも採用されて、いっそう拍車がかけられることになり、奈良時代には官人の邸宅や地方の官衙にも普及していった。
瓦博士の指導によって製作された飛鳥寺の創建瓦は二形式あるが、それは百済様式とはいえ、祖型は中国の南朝にあり、南朝の造瓦技術が百済に伝わるとほとんど同時にわが国へも伝えられたものであった。
即ち、第一形式の鐙瓦は素弁十葉の蓮花文を飾るが、その中房は小さく、花弁は薄肉で弁端を桜花状にあらわし、周縁は細くなんらの飾りもなく、全体に簡素な文様であるが、その洗練された気品は、いかにも貴族趣味的な南朝文化の所産とするに相応しいものである。
第二形式の鐙瓦は花弁が十一葉となり、弁端が角張り、反転した先端をあらわすのに点珠をもってするなど、多少の形式化をみとめざるを得ないが、洗練さは失われていない。
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