『 織田信長も熱狂した 』東山御物を高価買取致します。
2014/3/20 19:50
天下の政権を掌握した織田信長も、茶の湯隆昌の時代的風潮に便乗し、武略一辺倒の反面に、数奇者たらんことを心がけ、東山(御物)伝来の名物茶道具の蒐集につとめた。
そうして、京都と堺の町で、いわゆる名物狩を行ったことが、『信長公記』によって、明らかである。
珍奇な宝物を独占所有することは、古今東西を問わずに、権力者の常習であるが、とりわけ、美術品を秘蔵することは、王者の象徴とみなされていたらしい。
それは、武力で国を治める覇者ではなくて、徳行をもって国を治めるところの王者であることの証拠とされていたようである。
信長は、また、重商主義政策の立場から、堺の町を支配下に入れ、今井宗久、津田宗及、千利休を御茶頭として召抱え、安土城内に数奇屋を建て、また、京都の妙覚寺・相国寺・妙光寺などで、茶会を催している。
しかし、信長は、単なる個人的な趣味だけで茶の湯を行ったのではなくて、やはり、堺の町の富力を利用し、町人たちを政治的に利用するためであった。
だから、国内統一政策を行うにあたって、今井宗久、千利休などの茶湯者を通じて、堺で生産する鉄砲の弾薬や煙硝などを戦地に調達させた。
また、茶の湯政道ということを唱え、家臣のうちで、とくに戦功のいちじるしい武将たちに、名物茶道具を賞与し、茶会を開くことを許可している。
つまり、茶の湯を行うことを、許可制としたのであった。そこで、柴田勝家・瀧川一益・明智光秀・羽柴秀吉・丹羽長秀・佐久間信栄のような、数奇者が輩出したのである。
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