微塵に打ち砕いた平蜘蛛の茶釜
2014/2/28 17:37
大和の国(奈良県辺り)信貴山城主松永弾正久秀の秘蔵する茶釜に、平蜘蛛という名物があった。
織田信長は、久秀を降参させて以来、この茶釜を、いつかは手に入れようと、その機会を狙っていた。その折、久秀が、再び信長に背いて兵をあげたので、信長は、その子、織田信忠に命じ、信貴山城を攻めさせ、ついにこれを陥れた。信貴山の落城が、いよいよと迫り、そこで、信長の命令で、武将の佐久間信盛が、家来を櫓の下にやって、城内に向かってさけばせた。
『もはや、城も落ちいらんとしている。ご秘蔵の平蜘蛛の釜も信長公が、常々ご所望の品ゆえ、お渡しあって然るべきであろう。この際、焼いてしまうのは、まことに残念な次第だ』
するとしばらくして、城内からの返事には、
『平蜘蛛の茶釜と九十九髪(つくもがみ)の茶入とはあの世までお伽に持っていこうと思っていたが、さるころ、安土城でお茶を賜った縁で、九十九髪をば遂に進上した。けれども、平蜘蛛の茶釜と我らが首と、この二つは、信長公のお目にはかけまい』
とあった。かくて、松永久秀は、彼の首と茶釜とを火薬でもって粉々に焼き砕いてしまったということである。 [川角太閤記]
松永久秀は、足利十三代将軍義輝を殺害した張本人とみなされ、下克上の代表的人物であるが、武野紹鷗に茶の湯を習い、作物茄子(九十九髪の茶いれ)、平蜘蛛の茶釜などという名物道具を秘蔵する一面があった。
織田信長が、義輝の弟、足利義昭を奉戴し、六万の大軍をひきいて上洛したとき、久秀は使者を信長のもとに送り、降伏の意を示し、自ら清水寺の信長の陣営におもむき、作物茄子を献上している。降伏のしるしであった。久秀は、大和一国を、斬り取り次第という条件で、信長から与えられた。
[茶道の逸話]